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東京高等裁判所 昭和28年(ナ)8号 判決 1954年2月08日

原告 平林剛 代理人 猪俣浩三 外三名

被告 中央選挙管理会委員長 松村一郎

訴訟代理人 沢田竹治郎 外一名

主文

昭和二十八年四月二十四日に執行された参議院全国選出議員選挙のうち栃木県佐野市における選挙を無効とする。但し右選挙における当選人五十三名(別紙記載一から五十三までの者)のうち、参加人、関根久蔵、大谷贇雄、柏木庫治、楠見義男、訴外八木秀次を除いた四十八名(別紙記載一から四十八までの者)は、その当選を失わない。

訴訟費用中、原告と被告との間に生じた部分は被告の負担とし、参加によつて生じた部分は参加人等の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告訴訟代理人は、「昭和二十八年四月二十四日に執行された参議院全国選出議員選挙のうち、栃木県佐野市における選挙を無効とする。訴訟費用は、被告の負担とする」との判決を求めると申し立てた。

第二、請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として次のように述べた。

一、昭和二十八年五月二日に議員の任期が満了する参議院全国選出議員五十名及び同補欠議員三名の選挙に関し、その施行期日が同年四月二十四日と定められ、その旨が同年三月二十四日官報を以つて公示せられた。

原告は、日本社会党に所属し、右選挙について、同党によつて公認せられ、昭和二十八年三月二十四日、立候補の届出をなして、候補者となつた。

二、栃木県佐野市選挙管理委員会は、前項の選挙について、公職選挙法第百七十三条の定めに従い、昭和二十八年四月十四日同市相生町三百二番地、佐野市保育所他二十ケ所に設けられた投票所の入口その他の場所に、候補者の氏名及び党派別の掲示をしたが、右の掲示において、故意又は重大な過失により原告の所属党派を日本共産党と記載し、これを前記四月十四日から選挙の当日である四月二十四日まで掲示した。

これより先、栃木県選挙管理委員会は、日本社会党平林剛と候補者の氏名及び党派別を候補者別に記載した短冊型の氏名票(以下氏名票と呼ぶ)二十一枚を、他の候補者の分と共に、佐野市選挙管理委員会に交付し、公職選挙法第百七十三条に定める候補者の氏名及び党派別の掲示方法を県下一様に統一するように手配したが、佐野市選挙管理委員会は、これを用いず、一枚の紙に全候補者を一覧表の形式に印刷したもの(以下氏名一覧表と呼ぶ)を用いた。

三、原告は日本専売公社の労働組合である全専売労働組合の委員長の職に在り、右選挙に当つては、同公社の前理事(生産部長)訴外上林忠次と共に、日本専売公社関係を基盤として立候補したが、由来栃木県下は煙草耕作者の多い地帯であるから、原告は、特に同県下に重点をおいて活溌な運動を展開し、(原告が同県下で得た総得票数は、原告が全国各都道府県で得た総得票数のうち、第五位を占めている)先ず両者の選挙関係者の間に地盤の協定を行い、街頭演説、文書運動等にあたり、上林忠次は郡部の煙草耕作者に、原告は佐野市内の煙草小売人及び煙草耕作者にそれぞれ投票をなすように働きかけることとした。

しかのみならず佐野市内には、職員十名が配置せられている日本専売公社の出張所があり、他に原告自身、数多くの縁故者を有し、また同選挙に原告と同一政党から立候補した訴外大森真一郎も、原告の選挙関係者との間に協定をなし、佐野市内の煙草耕作関係の農民に対しては、原告に投票するように運動した。

四、然るに同選挙の結果、各候補者の全国及び佐野市における得票数は、それぞれ別紙記載のとおりであつて、すなわち、佐野市についてこれを見れば、上林忠次の得票数は三百十七票あるのに対し、原告の得票数は六十五票にすぎず、また全国的にこれを見れば、最下位の当選人となつた参加人楠見義男の得票数は、十五万九千七百六十二票、原告のそれは、十五万九千三百八十一票であつて、原告は、僅かに三百八十一票の差で、当選人となることができなかつた。

これは、佐野市選挙管理委員会が、前述のように、原告の所属政党を誤つて、日本共産党と記載したがために外ならない。

五、およそ選挙人が選挙において、何人に投票するかを決定するのは、候補者の所属政党による場合と、その人格性行、識見、徳望、親疎等の個人的関係による場合とがあるが、近時選挙のすう勢を概観すれば前者すなわち政党を中心に投票すべき候補者を決定する場合が顕著となつて来た。特に労働組合その他革新勢力に属する者の撰択が、その政党によることは、殆んど決定的である。公職選挙法第百七十三条の掲示に、所属政党を正確に明示せしめることは、政党政治の強調に伴い、特別に重大視せられるに至つた。

周知のように、近時日本共産党に対する国民一般の人気は、甚だしく低調であり、昭和二十七年十月に施行せられた衆議院議員選挙においては、同党からの当選者は皆無であり、また昭和二十八年四月に施行せられた同選挙においては、僅かに一名、同月施行せられた参議院議員選挙においても、地方及び全国区を通じて、当選者皆無という状態である。殊に昭和二十七年八月栃木県下に発生した、いわゆる「日共金田事件」は、同地方の耳目をしよう動したばかりでなく、一昨年以来日本全国にわたり、日本共産党員、朝鮮人等によつて頻発させられた火焔ビン事件等兇悪な事件の発生以来、一般市民は、日本共産党を畏怖し嫌悪する状態にあつたから、佐野市選挙管理委員会が原告の所属政党名を日本共産党と誤つて掲示に記載し、しかも十一日間の長きにわたり、原告が日本共産党に所属する候補者であるかのような印象を、選挙人に与えたことは、原告の立場を甚だしく不利に陥れ、選挙の結果に悪影響をもたらしたことは、極めて明瞭である。

佐野市内における日本専売公社出張所及び原告自身の縁故者関係だけでも、六十五票は確実であつたのであるから、原告は、一般市民からは、全然何等の投票も得なかつたものといわなければならない。もし、かかる誤記がなければ、前述の上林忠次との地盤協定により、一般市民からの得票を加算し、二百五、六十票は優に得られた筈であり、更に大森真一郎との協定、運動の結果、煙草耕作関係の農民の人数等を勘案して考察すれば佐野市において、同人が得た二千九百六十一票のうち、その二割に当る五、六百票は、原告に投ぜられた筈である。すなわち以上二点から見ただけでも、原告は前述の誤記の結果、すくなくとも七百票以上の得票を失つたものといわなければならない。

六、一方佐野市における有権者の総数は、三万千百三十五人で、そのうち前記選挙には一万七千九百二十四人が投票したものであるから、本件選挙を無効とし、改めて適法な手続で選挙をしなおしたならば、選挙の結果に異動を及ぼす可能性のあることは極めて明白であるばかりでなく、前記の誤記がなかつたならば右の選挙自体について見ても、選挙の結果に異動を及ぼす可能性があるものといわなければならない。

すなわち、右佐野市における選挙は、公職選挙法第百七十三条の規定に違反し、選挙の結果に異動を及ぼす虞のあることが明白であるから、これを無効とする判決を求めるため本訴を提起した。

七、なお、被告は氏名一覧表における誤記と原告の得票の喪失との間の因果関係を、厳格に明瞭にすることを要求しているものの如くであるが、誤記を信じたがために投票を棄権し、或は他の候補者に投票したことについての因果関係を明らかにすることは、投票者に対し、候補者の何人に投票したか、またいかなる理由で投票、棄権したかを調査することとなり、かかる事柄は憲法第十五条第四項前段において厳重に禁止しているところである。また、事実上数万に及ぶ投票者、有権者に対し、投票棄権の有無及び理由を調査するが如きことは、絶対に不可能なことであつて、公職選挙法第二百五条は、決してかかる違憲的な内容を有し、不可能なことを求めているものとは解すべきではなく、同条の適用に当つては、選挙の自由公正を害する選挙手続に関する違法があり、しかもその違法が無かつたならば、当選者と落選者との間の得票に変更を生じ、当選の結果に異動を及ぼしたであろうことが推測せられれば足りるものと解さなければならない。

第三、被告の答弁

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする」との判決を求め、原告主張の請求の原因に対し、次のように述べた。

一、請求原因一記載の事実は、これを認める。

二、同二の事実について、佐野市選挙管理委員会が原告主張の同市内二十一ケ所の投票所の入口その他の場所に、参議院全国選出議員候補者という表題を附し、全候補者の氏名及び党派別を一枚の紙に印刷した氏名一覧表を、昭和二十八年四月十四日午後二時頃から同月二十四日まで掲示したことはこれを認める。しかしながら右選挙の当日である四月二十四日午前七時三十分頃前記佐野市保育所に設けられた同市第一投票所へ投票に来た一選挙人が、投票後同投票所の入口に掲示されていた氏名一覧表中に、原告の所属党派が、日本共産党と誤記されていることを発見し、午前七時五十分頃この旨を申し出たので、同投票所係員から報告を受けた佐野市選挙管理委員会は、初めて誤記の事実を知り、即刻電話又は自転車による連絡により、同市内全投票所に右誤記の訂正方を命じ、大部分の投票所については、午前七時五十分から午前八時十五分頃までの間に最も遅れたものについても、午前九時三十五分頃までには、二十一ケ所全部の氏名一覧表の誤記の訂正を完了した。

なお栃木県選挙管理委員会が、原告の主張するような候補者別の氏名票を作成し、佐野市選挙管理委員会にも、これを交付したことを認めるが、元来公職選挙法第百七十三条の候補者の氏名等の掲示については、これを作成する権限、すなわち、全候補者の氏名及び党派別を一枚の紙に印刷したものを用いるか、各候補者ごとに各別の紙に印刷したものを貼り合わせて用いるか、またその用紙の寸法をどのようにするか等の決定は、挙げて市町村選挙管理委員会に一任された事項であるから(同法第百七十四条第三項参照)佐野市選挙管理委員会が、自ら前述のような氏名一覧表を作成したことは、裁量権の行使にすぎない。しかも、このような一枚の氏名一覧表を作成することは、候補者別の氏名票を多数貼り合わせて掲示することに比し、候補者の順位の正確、適当な掲示の施設を得ることの難易、手数、経費、更には掲示後の保管等において数等勝つておるから、佐野市選挙管理委員会が氏名一覧表を作成したことは、立法の精神を具現徹底するために、より適切な措置であつたといわなければならない。なお前記の誤記が、佐野市選挙管理委員会の故意又は重大な過失によるものであるとの原告の主張は、これを否認する。

三、同三ないし六の事実のうち、右参議院全国議員の選挙における開票の結果が、佐野市及び全国について、それぞれ別紙記載のとおりであること、佐野市における有権者の総数及び右選挙に投票した有権者の数、ならびに最近の選挙における日本共産党所属候補者中当選した者の数が、それぞれ原告主張のとおりであること、佐野市に日本専売公社の出張所のあることは、いずれもこれを認めるが、その余の事実は全部これを争う。

四、原告は、近時の選挙のすう勢によれば、政党中心に被選挙者を決定することが顕著になつて来たと主張するが、選挙人が文字どおりかかる態度をとることができるのは、その選挙区が一人の議員を選出する、いわゆる小選挙区制の場合に限られ、一選挙区から二人以上の議員が選出される、いわゆる中選挙区制または大選挙区制の下では、選挙人は、ただどの政党に投票するかを決定しただけでは、当然に投票すべき候補者は決定せず、更にその政党のどの候補者に投票するかを決定しなければならない。かくて、候補者の決定は、結局原告のいわゆる個人的関係に求める外はない。すなわち全国を一選挙区とする参議院全国選出議員の選挙のような空前未曾有の大々選挙区制の下に行われる選挙においては、政党中心に被選挙者を決することが顕著であるなどとは到底いい得ない。

しかのみならず、今日のわが国における政党の実情を見るに、政党はその生命である主義、綱領、政見、政策の実現よりも、党内人事に終始しておるばかりでなく、政党政治の理想とする二大政党の対立は実現せず、小党が分立しているわが政界の現状においては、どの政党も、その宣言した主義綱領、公約した政策を、そのとおりに実行することのできないことは、まことに明白な事実である。従つて選挙人は、政党中心の態度が、いかに無意味なものであるかを知り、政党中心に被選挙者を決定するが如きは、わが国の政界、政党の実情から遊離した観念論であるか、または根拠のない独断である。

また近時労働組合に属する選挙人が組合の幹部、職員を国会に送つて、その公私の利益を確保し、福祉の増進を図ることは、顕著な事実であるが、その場合、組合員は、組合の統制に服しその推した候補者は、これを公認した政党の何であるかに頓着せず、その候補者に投票するのが実情であつて、原告のいう政党中心とは正反対な、個人的関係によつて、被選挙人を決定している典型的な場合に当る。いわゆる革新勢力に属しない中小企業者の被選挙人の決定が、専らいわゆる個人的関係によるのは、いうをまたない。

五、次に、本件で問題となつている氏名一覧表は、選挙人が見ていないから、これにおける誤記は、原告の主張するように、原告の得票に影響を及ぼすものではない。

氏名一覧表は、市内二十一ケ所の掲示場に、四月十四日以来掲示せられ、殊に佐野市議会議事堂に設けられた第二投票所の入口になされた掲示の如きは、同議事堂内に、佐野市選挙管理委員会事務所が設置せられていた関係上、常にここを出入する選挙関係人は、もし、右氏名一覧表を見ようとすれば、容易に見得たにかかわらず、前述のように、選挙当日にいたり、第一投票所においてその誤記が指摘されるまで、原告のための選挙関係人はもとより、その他の何人からも、これが誤記の指摘、訂正の申出のなかつたことは、何人もこれを見ていなかつたことを推認させるに充分である。公職選挙法第百七十三条所定の氏名等の掲示は、選挙人に候補者の氏名と党派別とを周知せしめるものであるが、一般選挙人は、後に述べるように、いながらにして知り得る選挙公報、新聞の記載、ラジオの放送等によつてこれを知るのが普通であつて、わざわざ掲示場まで出かけ、屋外に立ち止まり、氏名一覧表を見る必要があるのであろうか。ことに本選挙のように、二百三十四名の有名無名の候補者の何人に投票するかを決定するに当つては、選挙人中特定の縁故関係によつて決定する者は、別段の資料を要せず、またこれに反し、何等かの資料を必要とする者にとつては、氏名一覧表の如きは簡略に過ぎ、何等の用にも立たず、結局これ以外のより詳細にして適切な資料に頼る外はない、氏名一覧表を見る必要のある選挙人はどの部類にも殆んどないといわなければならない。

しかのみならず、同法第百七十五条の二による投票記載所における氏名等の掲示の制度が新設せられて以来、本件で問題となつているような氏名一覧表を見る必要は一層なくなつた、被告の調査、証拠調の結果によつても各人は異口同音に、本件の氏名一覧表そのものを見ず、稀にこれを見ても、その内容を見ないといつている。前述した第百七十五条の二による投票記載所における氏名等の掲示の制度が新設せられたこと自体、第百七十三条の掲示が、候補者の氏名及び党派別を周知せしめる目的役目を殆んど果していないことを物語つている

六、仮に、選挙人が氏名一覧表を見たとしても、これが誤記は原告の得票数には、何等の影響を及ぼすものではない。

本件の参議院全国選出議員の選挙に当り、選挙人に対し候補者を周知せしめるためには、(一)官報による告示(昭和二十八年三月二十七日附官報号外)(二)選挙公報の配布、(三)公職選挙法第百四十九条第一項による新聞広告(二回)(四)同法第百五十条による政見放送、(五)同法第百五十一条による経歴放送(概ね七回)(六)同法第百七十三条による候補者の氏名等の掲示、及び(七)同法第百七十五条の二による投票記載所の氏名等の掲示がなされ、なお以上法定のものの外、各新聞紙は、候補者の届出をまたず、これを探知するに従つて、紙上にこれを速報するを競い、更に立候補の届出が一応出尽した頃、選挙戦の酣な頃、最後に投票期日が切迫した頃の数次にわたり、全候補者の氏名及び党派の紙上に掲載している。そして以上のうち、(六)を除いた法定のもの全部及び被告の手許にあるだけでも、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞その他の新聞紙になされた二十三に上る報道の全部は原告の所属政党を、正しく日本社会党、左派社会党と記載し、原告が日本社会党に所属することを明らかにしている。

またすでに述べたように、候補者との個人的関係で、何人に投票しようかを決定している選挙人にとつては、本件の誤記によつて、その意思に変更が生ずる筈がなく、また政党によつてこれを決定しようとするほどの選挙人にとつては、氏名一覧表の記載が正しいかどうかを確めることは、まことに容易であり、更にこれを見て、何等の疑問、不審を起さない人々にとつては氏名一覧表の誤記は、原告の得票に何等の影響を及ぼさない。以上いずれの点から見ても、本件の氏名一覧表の誤記が、原告の得票数に何等の影響をも及ぼさなかつたことは明白である。

七、原告は氏名一覧表の誤記がなかつたならば、上林忠次との地盤協定により二百五、六十票大森真一郎との協定ならびに運動の結果五、六百票は獲得することができたであろうと主張するが上林忠次、大森真一郎との間に、原告の主張のような協定が存在したことはもとより被告の否認するところであるばかりでなく、一方選挙運動の実情を見るに、原告は、佐野市に選挙事務所を設置せず、選挙期間中佐野市において、原告自身による演説会はもちろん、原告及び運動員による街頭演説もこれを目撃した者がなく、連呼行為がなされたかどうかすら、一般市民の記憶には明らかでない。

これに反し、上林忠次は、選挙期間中、立候補の挨拶状を佐野市の煙草耕作者に発送している外、二回以上トラツクで市内を連呼運動しており、更に大森真一郎は、佐野市の出身で、佐野市には実兄甥等が居住し、佐野市内における選挙運動は、日本社会党左派安佐支部長が総括主宰者となり、その選挙事務所も当初は実兄方に、次いで衆議員選挙に当選した同党左派山田長司の事務所のあとに移され何れも佐野市内に存在し、候補者自身、四月十九日から四、五日佐野市に滯在するとともに、街頭演説、連呼行為に活溌な選挙運動を展開し、その選挙運動用のポスターは全候補者中一番多く掲示された。

以上、選挙運動の実情と原告が本件の選挙において使用した選挙ハガキの数(八枚)原告が得票算定の根拠としている全専売労働組合の組合員、煙草耕作者、煙草小売人、塩小売人の数を別紙に記載された佐野市がで百票以上を得た他の候補者の場合と比較して、詳細に検討すれば、原告が佐野市開票区において得た六十五票という結果は、いかなる角度から見ても、好成績であつて、決して過少の票数ではない。

すなわち本件氏名一覧表の誤記は、原告の佐野市における得票に、いささかの影響も及ぼしていないものといわなければならない。

八、最後に仮に万々一にも本件誤記が原告の得票数に影響したとしても、原告の主張するような三百八十一票以上の得票を失つたことは絶対にあり得ない。

投票当日以前に、この氏名一覧表を見た選挙人がなく、また、よし見たとして、その人がこれにおける誤記によつて、原告に投票する意思を変更し得ないことはすでに述べたところによつて明らかであるから、もしこれによつて意思を変更した者がありとすれば、それは選挙当日、しかも二において述べた誤記訂正前に投票所に入つた人だけであるといわなければならない。被告の調査の結果によれば、各投票所における誤記の訂正以前各投票所に来た者の数は、合計二千五百三十五人と推定され、これを原告主張の得票予定数と当日の投票者総数とに按分して見れば、右訂正前の原告支持者は五十六人ないし七十人と算出せられ、これがすべて原告に対する投票を断念して、他の候補者に投票したとしてもその数は七十票に達せず、結局本件で問題となつた氏名一覧表の誤記は、本件の選挙の結果に異動を及ぼす虞がある程度に、原告の得票に下利益な影響を引きおこしたということは、絶対にあり得ない。

九、以上、本件選挙にあたり、候補者たる原告の氏名及び党派別を選挙人に周知せしめる法定の方法は、順次適切正確になされ、更に新聞紙の報道はいささかの間違もなく、原告が「日本社会党」に属することを告げているから、本件で問題になつている氏名一覧表における前述のような過誤は、選挙人に対して候補者の氏名及び党派別を周知せしめる方法中の、ほんの一部における極めて軽微な瑕疵にすぎず、しかも候補者たる原告の佐野市における選挙運動の状況を客観的に観察し、殊に原告の主張する日本共産党と誤記されたとの故をもつて得票を得られなかつたということについてこれを肯定する必然的な因果関係を認めることは、到底容認せられないところであり、これら諸般の事情を綜合すれば、前述の過誤のあつた一事をもつて、選挙の結果に異動を及ぼす虞があるべきものと解すべきでない。

一〇、なお、原告が、その七に主張するところは被告代理人の主張を正解せざるに基くものであつて、被告代理人といえども、原告の主張するような意味においての因果関係を明らかにすることを求めているものではなく、ただ本件の誤記がなかつたならば佐野市において原告が七、八百票の投票を得べかりしに、誤記のため僅かに六十五票に過ぎなかつたという原告の主張事実が、何等の立証なくして、いわゆる実験則でたやすく認め得られる事実とは考えられないから、これを指摘したに外ならない。

第四、参加人等の陳述

参加人等訴訟代理人は、参加人等は昭和二十八年四月二十四日に執行せられた参議院全国選出議員の選挙に立候補し、それぞれ別紙記載の得票により当選した者であるが、本件訴訟において、原告の主張するように、栃木県佐野市における選挙の無効が確定するときは、その得票に異動を来し、当選に影響を及ぼす虞があり得るから被告を補助するため、参加するものである、と申し立て、原告の主張事実に対して次のように述べた。

一、原告は訴外上林忠次との間に地盤協定が行われたと主張するが上林忠次は、無所属から立候補し、当選後間もなく緑風会に入会した者で、同人が保守派の人物であることは、立候補の当初から顕著な事実であつて、いやしくも社会党左派の公認候補である原告と同人との間に地盤協定というような重大な政治上の協定がなされたということは、承認することのできない事実であり、また初めて選挙に立つた未経験の候補者が、出身地関係その他特別な因縁もないのに、政見を異にする候補者と地盤協定をするというようなことは、到底信ずることのできない事実である。いわんや、右の協定により、二百票もの投票を確保し得たというような原告の主張は、全く問題とすべき余地はない。仮に何等かの特別な事情によつて、そのような異例の協定がなされたとしても、右のような事実と誤記によつて重大な影響を受けたという事実とは、互に両立することができない。もし本件の誤記が原告の主張するような重大な影響を与えた筈のものなれば、その誤記が何人かによつて発見されない筈はなく、発見されれば、地盤協定が推持された筈はなく、また誤記にもかかわらず、地盤協定が維持されたとすれば、誤記は、地盤協定に影響を及ぼさず、従つて選挙の結果に影響のなかつたものといわなければならないからである。

更に地盤協定は、協定自身によつて所期の効果が得られるものでなく、協定の趣旨に従つて選挙運動が行われなければ、効果を期し得られないことは、いうまでもないところであるが、この趣旨に従つて、運動が行われた事蹟は何等見ることができない。

二、原告は訴外大森真一郎との間に投票分割の約束をしたと主張するが、同人もまた今回が初めての立候補であり、しかも全国の候補者中ただ一人の佐野市出身であることを考慮に入れれば、その人が、佐野市内で原告のため投票分割の約束をなし、かつ自ら原告のため市内で運動したというようなことは、到底信じ得べき事実でない。いわんや本件の誤記がなかつたならば、佐野市における同人の得票の二割に当る五、六百票が原告に投ぜられた筈だとの主張に至つては、全く理解に苦しむ。

仮に、何等かの事情により、かかる約束運動がなされたとしても、これと誤記によつて重大な影響を蒙つたとの主張が相容れないことは、前項において述べたと同様である。

三、およそ選挙において候補者とその周囲の人々ぐらい敏感なものはない。大森候補と佐野市民において特に顕著なものがあつたことが考えられる。しかるに本件の誤記が、投票の当日に至るまで何人からも発見されず、偶々当日の朝、ある一人から注意を受け、それにより訂正が行われてからも、何人からも問題とせられなかつたことに鑑れば仮に全然影響がなかつたといい得ないとするも、少くとも、当選者との差三百八十一票という事実に対して、異動を及ぼすほどの影響を想像し得るような余地はない。

四、本件の誤記が、法律上重大であり、また戦後の選挙界に、政党中心の傾向が著しくなつたとの原告の主張につき、参加人は、必ずしもこれを争うものでない。

しかしながら、これがため本件の誤記が直ちに当選の結果に異動を及ぼす虞があるものとはいうことはできず、原告の主張する他の候補者との間の地盤協定及び投票分割の約束ならびにこれを推進する選挙運動の到底認めることができないことは、すでに述べたとおりである。

原告は、佐野市内に事務所を設けず、個人演説会を開催せず、自ら街頭に立つての演説はもちろん、自ら連呼をなした事実すらない。選挙の葉書に至つては、佐野市内に僅かに八枚が発送せられたに過ぎず、右は原告の主張に対比して、ほとんど信ぜられないほどの事実である。

五、本件の掲示が、法律上重大なものであることについても参加人は原告の主張を争うものでない。かような重大な誤記が市内二十一ケ所にわたり十一日もの間、公示されたのに、何を以つてか選挙の自由と公正を害しないということができるかとの原告の主張は、一応もつともである。

しかしながら、それはあくまで抽象的な理論であつて、これを立証すべき何等の事実の裏付がない。かかる掲示がなされていたにもかかわらず、一般の市民からはもちろん、上林、大森両名の側からも殊にかかる事実については最も敏感である原告の側の何人からも全く問題にせられなかつたという事実は、本件の誤記が、いかに注意をひくことがなかつたかを証して余りがある。原告の主張は誤記という事実から陥つた錯覚の結果に外ならない。

六、もしも原告の主張する理論を一貫すれば、原告は本件の誤記により、共産党の投票を利得した筈であり、これについて全然論及しないのは、重大な論点を逸脱している。

七、これを要するに原告の主張は、本件の如き場合において何人も陥りやすい錯覚に終始しているもので本件請求は、その理由なく、棄却されなければならない。

第五、証拠

一、原告

(1)  書証甲第一ないし第七号証(但し甲第五号証は更に一、二に分れる。)

(2)  証人尋問 関根義十郎(第一回)田村平兵衛、大谷操、阿部正規(第一回)蛭川作次郎、小林喜寿、石川幸一、川田正雄、宮平亨朝、山田長司、大森真一郎、肥川治一郎、林久興

(3)  検証 佐野市における十八ケ所の氏名一覧表掲示場所

(4)  乙号各証に対する陳述、乙第十七号及び第二十号証の成立は不知その余の乙号各証の成立を認める。乙第十八号証を採用する。

二、被告

(1)  書証乙第一ないし第二十二号証(但し更に、乙第三、十二、十四、二十二号証は一、二に乙第八号証は一ないし二十三に乙第十五号証は一ないし五に、乙第二十号証は一ないし二十に分かれる。)

(2)  証人尋問 関根義十郎(第一、二回)田村平兵衛、大谷操、阿部正規(第一、二回)飯塚利一、蛭川勝次郎、島田直衛、小池義一、山田惣一郎、島田藤一、坂本園雄、吉川藤平、寺内正次、上岡藤三、根本友次郎、船渡川丑次郎、田尻福司、荒井ウラ、上林忠次、柿沼徳次郎、金子雄治

(3)  検証 原告に同じ

(4)  甲号各証に対する陳述、甲第六号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立を認める。

理由

一、昭和二十八年五月二日に議員の任期が満了する参議院全国選出議員五十名及び同補欠議員三名の選挙に関し、その施行期日が同年四月二十四日と定められ、その旨が同年三月二十四日、官報を以つて公示せられたこと、原告が日本社会党に所属し、右選挙について同党により公認せられ、昭和二十八年三月二十四日立候補の届出をなし、その候補者となつたこと、ならびに同選挙の結果が全国及び佐野市について、それぞれ別表記載のとおりであつたことは、当事者間に争がない。

二、右選挙の実施にあたり、栃木県佐野市選挙管理委員会が、公職挙選法第百七十三条の定めに従い、同市相生町三百二番地佐野市保育所外二十ケ所の場所に掲示した候補者の氏名及び党派別を記載した氏名一覧表に、原告の所属党派が日本共産党と記載せられ、右氏名一覧表が、当初掲示せられた昭和二十八年四月十四日から、少くとも選挙当日である同月二十四日午前七時五十分頃までは、そのままに掲示せられていたこともまた、当事者間に争がない。

証人田村平兵衛、飯塚利一、小林喜寿、島田直衛の各証言、その成立に争のない乙第六号及び第九号証ならびに検証の結果を綜合すれば、右選挙の当日である昭和二十八年四月二十四日午前七時三十分頃、前記佐野市保育所に設けられた同所第一投票所へ投票に来た選挙人小林喜寿は、投票を済ました後、同投票所の入口左側に貼られた氏名一覧表中に、原告の所属党派が日本共産党と記載されていることを発見したので、一旦自宅へ引きかえし、栃木県選挙管理委員会から配布せられた選挙公報と対照した上、右氏名一覧表の記載がこれと相違することを確め、同日午前七時五十分頃右第一投票所の係員に対し、原告が党籍を変更したかどうかを尋ねて、この旨を申し出たこと、佐野市選挙管理委員会は、第一投票所係員からの報告により、右氏名一覧表における誤記の事実を知り、即刻、同市二十一ケ所の投票所のうち、電話の施設があるか、または電話連絡の便宜のある十六ケ所の投票所に対しては電話により、その他の五ケ所の投票所には、委員会事務所または、最寄の投票所から自転車による連絡をなして、その訂正に着手し、午前七時五十分から、最も遅い個所でも午前九時三十五分頃までには一応全氏名一覧表について、前記の誤記を訂正したこと、及び右訂正の方法は、当初は、差しあたりペン又は毛筆により、「日本共産党」または「共産」の文字を抹消し、それぞれ「日本社会党」または「社会」の文字を加えたものであつたが、(午前九時三十五分頃までに、全部の訂正がなされたのは、この方法によつたものである。)右訂正に着手後間もなく予備の氏名一覧表中から「日本社会党」の文字を切り抜き、これを前述の訂正記載の上に貼る方法を採ることとなり、直ちにこの方法によることを指図したが二十一ケ所における氏名表の全部が、この方法によつて訂正せられたのは、同日午後一時三十分頃であることが認められる。

公職選挙法第百七十四条第一項には、同法第百七十三条第一項の掲示は、参議院議員の選挙にあつては、当該選挙の期日前十日からその選挙の当日まで行うことが規定せられているから、昭和二十八年四月十四日から少くとも四月二十四日午前七時五十分頃まで、前記各掲示に、原告の所属党派である日本社会党が日本共産党と記載せられて掲示されていたことは、同法第百七十三条の規定に違反するものであること、疑を容れない。

三、昭和二十八年四月十四日、佐野市選挙管理委員会が前記の氏名一覧表を作成掲示するに先だち、栃木県選挙管理委員会は、各候補者別に、(参議院全国選出議員候補者の数は、二百三十四名であつた。)その氏名及び所属党派を印刷した短冊型の氏名票(縦二・五一糎、横五・三糎)を作成して、県下市町村に配布し、佐野市選挙管理委員会も、これが交付を受けたことは、当事者間に争がない。

しかしながら、公職選挙法第百七十四条第三項には、同法第百七十三条第一項の掲示の掲載の順序は、市町村の選挙管理委員会が定めることが規定されているから、この定められた順序による掲示を、いかなる方式によつて行うかの決定も、特に同法第百七十五条の規定により、都道府県の選挙管理委員会が定める事項を除いては、市町村の選挙管理委員会の権限に属する事項であると解するを相当とするところ、証人大谷操の証言によれば、栃木県選挙管理委員会が、前記短冊型の氏名票を県下各市町村に配布したのは、同委員会において掲示の方式として、右短冊型の氏名票を使用すべきことを定めたものではなく、単に県下市町村の要望に応え、その便宜を図つたものにすぎないことが認められ、また証人関根儀十郎(第一回)、田村平兵衛、蛭川作次郎の各証言及びその成立に争のない甲第二号証を綜合すれば、佐野市のような広い農村的部落を含む都市において、二百三十四枚にも及ぶ前記短冊型の氏名票を貼布した掲示を、二十一ケ所の多きにおいてなすことは、これがため適当な施設を得ることが困難であり、またこれを得たとしても、そのために可成りの経費と時間とを要するばかりでなく、委員会で定めた掲載の順序が、当初、貼布にあたり、または掲示の後において、何等かの事故により、正確に保たれ得るかどうかについての危惧もいだかれたので、前回の参議院議員選挙における先例にならない。一枚の用紙に全候補者の氏名及び党派別を印刷してこれを掲示すれば、前述の各欠点はなくなり、却つて立法の精神に適うものとして、縦五二・一糎、横一二五・五糎の六十斤の白紙に、縦六十二行、横四段合計二百四十八の区画を説け、(一候補者につき縦一〇・三糎、横一・九糎)その上欄に候補者の所属党派、下欄に氏名を記載した氏名一覧表を作成掲示したものであることが認められる。して見れば、佐野市選挙管理委員会が掲示の方式を前述のように定めたのは、単に同委員会に一任された権限の行使であつたばかりでなく、右裁量権の行使は、決してその範囲を逸脱したものとは解されたい。

次いで証人田村平兵衛、飯塚利一、蛭川作次郎の各証言と、その成立に争のない乙第十号証によれば、佐野市選挙管理委員会においては、前記の氏名一覧表を作成するに当り、昭和二十八年四月十三日午前、公職選挙法第百七十四条第三項所定のくじにより、各候補者について掲載の順序を定め、氏名一覧表の原稿を作成し、同日午前十一時頃これを訴外株式会社安蘇印刷所に交付して印刷させたが、これが校正には同委員会書記二名が専らこれに当ることとなり、同人等は右印刷所にいたり、同日午後八時頃から翌十四日午前二時頃までの間に校正を行い、印刷は午前三時頃完成し、同日午前八時三十分頃同委員会に納入せられたこと、右の原稿には原告の所属党派は、日本社会党と記載せられ、何等の誤りもなかつたこと、校正にあたり、係書記は、右植字の誤りに気付かず、そのままに印刷に付せられ、これが納入を受けた同委員会も、改めてその結果を検討することなく、直ちにこれを各掲示所に向け配付し、掲示させたことが、認められる。

以上認定の事情に顧れば、右氏名一覧表の作成及び掲示の過程において、原告の主張するような故意の存することは認められないが、佐野市選挙管理委員会に過失の存したことは、否むことができない。そして右選挙に関する規定の違反が、選挙の自由公正を害するものであることは、いうをまたない。

四、すすんで右認定にかかる選挙の規定の違反が、選挙の結果に異動を及ぼす虞があるかどうかについて判断するに、公職選挙法第二百五条にいう選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合とは、選挙の規定に違反することがあるとき、その違反がなかつたならば、選挙の結果、候補者の当落について、或いは現実に生じたところと異つた結果を生じたかも知れない可能性がある場合をいうべきものと解せられるところ、近時、選挙人が、選挙殊に国会議員の選挙において、いかなる候補者に投票するかを決定するについて、もとより候補者の人格、識見、手腕、経歴等個人的な関係による場合が決して少しとはしないが、その候補者の所属する党派が何であるか、換言すれば、その所属する政党の表明する政策、その有する性格が、より一層重大な意義を有すること、その所属する党派の如何によつて積極的にこれを支持し、投票することを決意しないまでも、少くともその所属する党派のゆえに、消極的にその候補者に投票しない場合のあることは、顕著なところであつて、候補者が、労働組合によつて推された場合にも、これと異るところはないといわなければならない。

被告代理人は、この点について、政党を中心に被選挙者を決定することのできるのは、いわゆる小選挙区の下に限られ、かつ我が国の政党の現情においては、被選挙人の決定は、原告のいう個人的関係に求めるの外なく、政党を中心とするというが如きは、実情から遊離した観念論であるか、または根拠のない独断であると主張するが、かかる主張は当裁判所の採用し得ないところであつて、公職選挙法第百七十三条、第百七十四条が、教育委員会の委員を除く公職の候補者について、その氏名及び党派別を当該選挙の期日前三日ないし十日から、選挙の当日まで、公衆の見易い場所を選び掲示しなければならない旨を規定し、また同法第百五十八条の立会演説会開催の周知方法、第百六十四条の二の個人演説会表示の立札、第百七十五条の二の投票記載所の掲示等について、選挙公営の任に当る選挙管理委員会に対し、他の事項に併せ、候補者の党派別を記載周知させねばならないとした趣旨は、いずれも右選挙における、候補者の所属する党派の有する意義の重大なことを認め、これを選挙人に周知せしめようとしたものに外ならないと解せられる。

しかるに、その成立について当事者間に争のない乙第十八号証によれば、原告の所属する日本社会党、及び前記氏名一覧表に原告の所属党派と誤つて記載せられた日本共産党が、昭和二十二年以降の衆議院議員選挙及び参議院議員選挙で得た得票数は、

一、日本社会党

(一)衆議院議員選挙

昭和二十四年一月二十三日

四、一二九、七九四

昭和二十七年十月一日

七、五〇六、八七一

昭和二十八年四月十九日

九、一九六、三四〇

(二)参議院議員選挙

全国区

地方区

昭和二十二年四月二十日

三、四七九、八一四

四、九〇一、三四一

昭和二十五年六月四日

四、八五四、六二九

七、三一六、八〇八

昭和二十八年四月二十四日

五、五九八、九七五

六、八五五、七三八

二、日本共産党

(一)衆議院議員選挙

昭和二十四年一月二十三日

二、九八四、七八〇

昭和二十七年十月一日

八九六、七六五

昭和二十八年四月十九日

六六五、九八九

(二)参議院議員選挙

全国区

地方区

昭和二十二年四月二十日

六一〇、九四八

八二五、三〇四

昭和二十五年六月四日

一、三三三、八七二

一、六三七、四五一

昭和二十八年四月二十四日

二九三、八七七

二六四、七二九

となつていることが認められ、日本共産党所属候補者中当選者の数も、衆議院議員選挙につき、昭和二十七年十月皆無、昭和二十八年四月一名、参議院議員選挙につき、昭和二十八年四月全国区及び地方区を通じ皆無であることは、当事者間に争のない事実である。そして、以上の各事実に、証人小林喜寿、石川幸一、川田正雄、山田長司、大森真一郎の各証言を綜合して考察すれば、日本共産党に対する国民の支持は、近時甚しく減退しつつあつたばかりでなく、一昨年以来全国各地に頻発した火焔ビン事件、また栃木県金田村に起きた暴力行為等のため、保守的な佐野市における一般市民は、日本共産党に対し、甚しい恐怖心を抱き、これを嫌忌していたことを認めることができる。

五、被告代理人は、公職選挙法第百七十三条の掲示、殊に本件で問題となつている氏名一覧表は何人も見ないから、これにおける誤記は原告の主張するように、原告の得票に影響を及ぼすものでないと主張し、参加人等代理人または本件氏名一覧表の誤記が選挙当日にいたるまで、市民及び原告側の何人からも全く問題にせられなかつた事実は、これが注意を引かなかつた証拠であると主張するが、公職選挙法が、特に「公衆の見易い場所を選び」、かつ「その掲示方法、掲示場所等につき適当な措置を講じ、公職の候補者の氏名等が選挙人に周知されるようにつとめなければならない」ことを命じ、検証の結果によつても、学校、議事堂、寺院、集会所等の入口、掲示場等概ね人々の見易い場所を選び、しかも四月十四日から四月二十四日午前七時五十分までは、そのまゝに掲示されていた前記氏名一覧表を、全然何人もが見なかつたと断定するのは至難であつて、その間幾多の選挙人によつて見られたものと推定するのを相当とする。もつとも、被告の採用する証人山田惣一郎、島田藤一、坂本園雄、吉川藤平、寺内正次、上岡藤三、根本友次郎、船渡川丑次郎、田尻福司、荒井ウラ、柿沼徳次郎、金子雄治の各証言及び証人阿部正規(第二回)の証言によつて真正に成立したと認める乙第二十号証の一ないし二十によれば、右各証人及び右乙号証の作成者(佐野市役所吏員を除く)等は、本件氏名一覧表を見ないか、またはこれを見ても内容は見ていなかつたことを認めることができ、また四月二十四日の投票の当日前述した小林喜寿によつて申出がなされるまで、何人も右氏名一覧表の記載を不審不当と思い問合せ、または訂正の申出をする者がなかつた事実は、弁論の全趣旨によつて明らかであるが、後に認定するように、佐野市の有権者の数が三万人を超えること、及び選挙の管理が適切に行われることを確信する以上、一般の選挙人は、右の掲示をそのままに信じ、あえて不審としないであろうし、また改めて候補者を知る要もない選挙関係人は、あえてこれに注視するまでもなかつたことに鑑れば、右認定の事実は前記の推定を覆えし、何人もこれを見なかつたとの被告及び参加人等の主張を肯定させるものではない。

更に同法第百七十五条の二の規定は、投票の記載にあたり、選挙人が候補者の氏名またはその文字等についての記憶を確め、またはこれを新たにする便宜のために設けられたものであつて、あえて被告代理人の主張するように、従来から存する同法第百七十三条の掲示がその目的を殆んど果していないことを語るものではないと解するを相当とする。

六、被告代理人は、前述の選挙については、選挙人に対し候補者を周知せしめるため被告の答弁六に掲げた(一)ないし(七)の法定の方法が順次行われ、またその外に、各新聞紙は前後、数十度にわたり、全候補者の氏名及び党派別を紙上に報道し、これらのうち前記(六)の氏名一覧表を除く以外は、全部原告の所属政党を正しく記載しているから、選挙人はこれらにより原告の所属党派を充分知り得たものであるから、氏名一覧表における前述のような過誤は、選挙人に対し候補者の氏名及び党派別を周知せしめる方法中の、ほんの一部における極めて軽微な瑕疵に過ぎないと主張し、右(六)を除く前記各法定の方法及び新聞紙の報道が順次、適切正確になされたことは、その成立に争のない乙第一号証ないし第五号証、乙第七号証及び乙第八号証の一ないし二十三によつて明認することができる。しかしながら公職選挙法は、公職の選挙が、自由公正に行われ、選挙人の意思が誤なく選挙の結果に反映して、当選人が正当に決定されるために、被告主張の(一)ないし(七)の各方法を規定し、選挙人に対し、でき得る限り候補者を周知せしめることを企図しておるものであつて、右各種の方法は、互に相まち、相助けて所期の効果を挙げることを目的としているばかりでなく、(二)の選挙公報の掲載(発行ではない)、(三)の新聞広告、(四)の政見放送をするかしないかが、候補者の意思にまかされ、またラジオの放送、新聞紙の記載が、概ね一時的のものとして取り扱われるのに対し、(六)の候補者の氏名等の掲示は、選挙管理委員会の義務とし、かつその期間も、十日間にわたり継続的に、又場所も、公衆の見易い場所を選んでしなければならない旨が定められ、更にこれらの掲示については、「その掲示方法、掲示場所等につき適当な措置を講じ、公職の候補者の氏名等が選挙人に周知されるようにつとめなければならない」旨の規定(第百七十三条第三項)が新たに設けられた趣旨に徴しても、(これと同時に新設せられた(七)の投票記載所の氏名等の掲示の有する意義については、前項において述べた)、右(六)の掲示が、候補者の氏名及び党派別を周知させる上に、重大な意義を有していることを推認するに足り、これにおける誤記が決して被告代理人の主張するように、軽微な瑕疵にすぎないものとは到底解されない。

すでに氏名一覧表が前述のような意義を有するものである以上、これにおける党派別の誤記が、原告の得票に影響を及ぼす虞のあるものと解せられることは極めて自然であつて、前記誤記が原告の得票に何等の影響をも及ぼさないとする被告代理人及び参加人等代理人の所論は、採用することができない。

七、次に、原告の佐野市における選挙運動の状態について見るに、その成立に争のない乙第二号証、乙第十九号証、甲第七号証、証人阿部正規(第二回)の証言によつて真正に成立したと認める乙第十七号証及び証人石川幸一、川田正雄、宮平亨朝、肥川治一郎、大森真一郎の各証言を綜合すれば、原告は、日本専売公社の労働組合である全専売労働組合の委員長、全国専売事業政治連盟会長の職にあり、栃木県は古来煙草の耕作者の多い地帯であつたから、原告は特に同県下に重点をおいて運動することとし、(原告が同県下で得た総得票数は、原告が全国各都道府県で得た総得票数中、第五位を占めている。)佐野市についても、選挙事務所は設けなかつたが、同市における前記労働組合員(九人、家族を含め有権者三十二、三人)、煙草耕作者(百四十八人、家族を含め有権者三百八十二人、うち棄権者百二十七人)、煙草小売人(百二十九)、塩小売人(六十三人)、友誼団体組合員等を直接の対象として、前後四回にわたり運動員等により、同市内にトラツクを馳駆して連呼行為をなし、また原告の所属する日本社会党(左派)では、同年三月はじめ静岡県伊東市において選挙に関する打合せ会を開き、栃木県下を主な地盤とし、一般農民を対象として立候補する同派の候補者、訴外大森真一郎との間に、運動の対象を、煙草耕作者については原告、その他の一般農民については大森真一郎となす旨の申合せをなしたことが認められる(本項の冒頭にかかげた各証言中、前記認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない)。

原告は、なお後に記載する訴外上林忠次との間にも、地盤の協定をなし、これに従つて運動した旨を主張するが、右事実はこれを認めるに足る証拠がない。

八、同選挙の結果、各候補者の全国及び佐野市における得票数が、それぞれ別紙記載のとおりであつて、すなわち佐野市における原告の得票数が六十五票、全国における総得票数が、最下位の当選者とせられた参加人楠見義男は十五萬九千七百六十二票、原告が十五萬九千三百八十一票となり、原告は三百八十一票の差によつて次点者となつて、当選人となることができなかつたことは、先に一において判示したところであり、また佐野市における有権者の総数が三萬千百三十五人、そのうち一萬七千九百二十四人が右選挙に投票したものであることは、当事者間に争のないところである。

九、以上、詳細に認定して来たあらゆる事情を綜合して考察すれば、もし佐野市選挙管理委員会が、昭和二十八年四月十四日から、少くとも選挙当日である同月二十四日午前七時五十分までの間、公衆の見易い場所を選んで掲示して来た氏名一覧表に、原告の所属党派が正しく日本社会党と記載されていたならば、前記原告の得票以外に、原告に対して投票しようと決意した者があることが考えられるし、逆に右の掲示に原告の所属党派が日本共産党と記載されていたため、もしそうでなかつたならば、或いは原告に投票したかも知れない者が、原告に投票しないで他に投票したことも考えられ、更に、掲示が正しくされていたならば、当日現実に投票したより多数の人々が投票したことも、あり得ないことではない。そして一面、参加人等代理人の指摘するように、右誤記の結果、日本共産党に投ぜられるべき投票が、原告に投ぜられたことも絶無とはいい切れないところであるから、右の誤記は、ひとり原告の得票数の増減ばかりではなく、直接比較の対象とせられている前記楠見義男はじめ、その他あらゆる候補者の得票数にも影響を及ぼし、結局もし前述の違反がなかつたならば、選挙の結果、候補者の当落について、或いは現実に生じたところと異つた結果を生じたかも知れない可能性があるものといわなければならない。

すなわち、先に四の冒頭に述べたように、右手続の違反は、公職選挙法第二百五条にいう選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に該当するものといわなければならない。

十、もつとも、その成立に争のない乙第十二号証の一、二、乙第十五号証の一ないし五、前記乙第二十号証の一ないし二十、及び証人山田惣一郎、島田藤一、吉川藤平、上岡藤三、根本友次郎、船渡川丑次郎、田尻福司、荒川ウラ、上林忠次、柿沼徳次郎、金子雄治、関根儀十郎(第二回)、川田正雄の各証言を綜合すれば、訴外上林忠次は、日本専売公社の前理事であつて、原告と同様、同公社関係を基盤として立候補し、佐野市における煙草耕作者、煙草小売人、塩小売人等に対しても、立候補の挨拶状を発し、二回以上、運動員をして、同市において連呼行為をしており、(候補者自身は選挙運動期間中は佐野市へ行かない)、また前記、大森真一郎は、佐野市の出身で、同市内に選挙事務所を設け、選挙運動も、同市における参議院全国選出議員候補者中では、最も活発に行われ、また同市において三百票以上の得票のあつた者は、概ね全国的に著名な人か、佐野市と関係が深く、活発な運動をした人々であり、他面原告は必ずしも同地方に著名な人ではなく、原告が本件の選挙について、直接、全専売労働組合佐野分会に配布した葉書の数は八枚にすぎなかつたことが認められる。被告代理人は、以上の各事実ならびに先に七において認定した佐野市における前記労働組合の組合員、煙草耕作者、煙草小売人、塩小売人の数及び、投票当日、前に述べた誤記の訂正せられた時刻までに投票したと算出される選挙人の数を基本として、詳細な推理と計算とにより、原告が佐野市で得た六十五票は、いかなる角度から見ても好成績であつて、決して過少とはいい得ず、仮に右誤記が原告の得票に何等かの影響を及ぼしたとしても、原告はこれがため三百八十一票以上の得票を失つたことは絶対になく、かつ原告の主張は、誤記と得票の喪失との間に、これを肯定する必然的な因果関係を認めることができないと主張し、参加人等代理人また、本件における誤記及び選挙運動の実情をひいて、誤記の影響があつたとしても、当選者との差三百八十一票という事実に対して、異動を及ぼすほどの影響を想像し得ず、原告の主張はほとんど信ぜられないと主張しているが、複雑にして微妙な選挙の実際が、被告代理人のいうような数理の上にのみ行われるものとは解し得られないばかりでなく、被告が論拠とする各候補者の佐野市における得票数についても、誤記の有無に伴い、相関的に変動を生じ得る可能性のあることは、前段において述べたところであつて、被告の提出、援用にかかる全証拠によつても、右被告代理人主張のような事実を認めることができない。

しかのみならず、選挙の結果について、もしその法規の違反がなかつたならば、いかなる事実が発生したであろうかということは、これを正確に知ることができない事項であつて、公職選挙法第二百五条は、先に述べるように、選挙の結果、候補者の当落について、或いは現実に生じたところと異つた結果を生じたかも知れない可能性のあることを要件としているものであり、しかも本件における規定の違反が選挙の自由公正を害し、かかる可能性の存在を認めるに足りるものであることは、先に述べたところであるから、被告代理人及び参加人等代理人の右の主張は、これを採用することができない。

十一、以上これを要するに、昭和二十八年四月二十四日に執行された参議院全国区選出議員選挙のうち、栃木県佐野市における選挙は、公職選挙法第二百五条第一項の規定に該当し、これを無効としなければならない。

十二、最後に職権を以つて判断するに、右参議院全国選出議員選挙において、各候補者の全国及び佐野市における得票数が、それぞれ別紙記載のとおりであつて、うち別紙記載一の訴外宇垣一成から同五十三の参加人楠見義男までが当選人とせられたことは、自治庁選挙部作成にかかる参議院通常選挙全国選出議員得票計算表(乙第十九号証)の記載によつて明白であるところ、上来認定して来たところにより、佐野市における選挙人の数は、三萬千百三十五人となすべきであるから、右当選人とせられた五十三名のうち、参加人関根久蔵、大谷贇雄、柏木庫治、楠見義男、訴外八木秀次を除いた四十八名(別紙記載一から四十八までの者)は、公職選挙法第二百五条第三項及び第四項の規定により、当選に異動を生ずる虞のない者と認められる。

よつて右四十八名に限り、同条第二項の規定により、当選を失わない旨を判決すべきものとする。

十三、以上の理由により、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条、第九十四条後段の規定を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判長判事 小堀保 判事 原増司 判事 高井常太郎)

(別紙)

目録<省略>

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